#1 - 2024-5-3 17:41
リゼ・ヘルエスタ (どこか遠くへ行く、あなたを信じます)
『国盗り物語』司馬遼太郎著 を読んで               笹葉更紗




「今日はありがとうね。無理につき合わせてしまって」



「いや、ぜんぜん。おれのほうこそ楽しかったよ。岡山城は何度来たって楽しいから」



「そう言ってくれると助かるわ」



「あのさ、アタシもいるんだけど?」



「ごめんごめん。瀬奈も付き合ってくれてありがとう」



「つかさ、瀬奈は絶対しろなんて興味なかっただろう?」



「え、全然そんなことないよ。好き好き、ちょー好きだよ」



「いや、全然見てなかったじゃん。二階の茶店の抹茶ソフトクリームに夢中だったし」



「いや、見てた見てた」



「じゃあさ、不等辺五角形って何」



「え、なに? なんで数学の話?」



「ほら、全然説明とか聞いてなかったじゃん」



「あ、ずるい、ひっかけだー」



「いや、全然ひっかけとかじゃないし!」

 



『国盗り物語』司馬遼太郎の歴史小説だ。物語は大きく二つの構成になっている。第一部は斎藤道三を中心とした物語で、第二部は斎藤道三の二人の弟子ともいえる織田信長と明智光秀の物語だ。



 今まで歴史小説なんて興味がなくてほとんど読んだことがなかった。ウチの父はあまり小説は読まない人なのだけれど、書斎にはどういうわけか司馬遼太郎の本だけがやたらと並んでいた。それで、少し気になって読んでみると、これが面白いのなんのって。お城の構造なんかも実際に見てみたいと興味を持ったのはいいのだけれど、やはり一人で行くには抵抗があった。



 竹久は歴史に興味があるっぽかったので思い切って誘ってみたのだけど、それを聞いていた瀬奈もついてくると言い出した。



 瀬奈が歴史や城に興味がないのは知っている。それでもついてくると言い出したのは、たんに竹久に興味があるからなのだろう。きっと自分の知らないところでウチと竹久とが二人でいるところが気になるのだろう。



 別に……やましい気持ちがあるとかそういうことではないので、それで構わないし、そうしてくれた方がウチとしても変な罪悪感を持たなくて済むので好都合ともいえる。




「でも、意外だね。まさか笹葉さんが岡山城に行ってみたいなんて言い出すなんて思わなかった」



「うん、ちょっとね。先日から司馬遼太郎の『国盗り物語』を読み始めてから、ちょ

っとそういうのに興味が湧いてきたというか……せっかくこんな近くにお城があるにもかかわらず、中に入ったことは一度もなかったなって思って」



「ふふん。これは笹葉さんも歴女としての一歩を踏み出したかな?」



「やめてよ。まだまだとてもそんなんじゃないわ。歴史なんて、竹久のほうがよほど詳しいでしょ」



「いや、べつに詳しいわけでもないよ。でも、男子っていうのは多かれ少なかれ戦国武将だとか好きだからね。これは持論なんだけど、男は大体にして、好きな戦国武将と好きな三国志演義の英雄を聞けば大体性格がわかる」



「ふーん、それで……竹久は誰が好きなの?」



「え! ちょ、ま、まって! 今、こんなところでそれ聞く?」



 瀬奈が急に慌てだす。何かを勘違いしてしまったらしい。



 竹久はそんな瀬奈を不思議そうに眺めながら答えた。



「明智光秀と、周瑜だな。たぶん、この答えはわかりやすいと思う」



「そうね。確かにわかりやすいわ。特に、明智光秀を出す人は少ないと思うし」

 瀬奈が何かを理解して、胸をなでおろした。



「明智光秀は裏切り者というイメージがあるのだけど、いろいろと読んでみると本当に儀に厚く誠実で知性の高い武将だ。本能寺の変は決して自分の出世のためだとかそういう短絡的な事件ではないと僕は思っている。もっと、多くのことを誰よりも思慮深く考えたうえで、それが最善の選択だと考えたからだとおれは思っているんだ。

 この岡山城の二代目城主である小早川秀秋にしてもそうだ。関ケ原の合戦において裏切り者のレッテルを張られて、多くの作品の中で小物扱いされるダメな武将として描かれがちだけど、客観的に見て東軍が明らかに有利と言える合戦において、東軍に身を寄せるということは、自分うんぬんよりも、家臣のことを思えばこそそうすることが賢明なわけで、家臣思いだったと見える。現に小早川秀秋は――――

しまった……また、おれはこんなことを長々としゃべってしまった。まったく不甲斐ない……」



「そう? ウチはもう少し聞きたいけどね」



「瀬奈を見てみろ。完全に興味を失っている」




「あ、あひるさんだー!」



 興味を失っているどころか、話すら聞いていなかった様子だ。



 瀬奈は岡山城の堀まで走っていき指をさした。てっきりあひるがいるのかと思えば、あひるなんかではなく白鳥のデザインをしたボートだ。



「ねー、サラサ。あれ一緒にのろーよ」



「え、いやよ。そんな……」



 さすがにあんな恥ずかしいデザインのボートに乗って岡山城の堀を遊覧するなんて、恥ずかしくって耐えられそうにない。



「えー、しょうがないなー。じゃあ、ユウと一緒に乗ろうかなー」



「いや、ちょっと待てよ。なんでおれは断らない前提なんだよ」



「え、断るの? アタシと一緒なんだよ?」



「そりゃあ断るよ」



「そうかー、ユウはサラサの誘いは断らないけどアタシの誘いは断るんだね」



「いや、そういう問題じゃ……」



「どういう問題?」



「つかさ、有名なジンクスがあるんだよ。あのスワンボートにカップルで乗ると別れるっていう噂だよ」



「アタシ達、別に付き合ってるわけじゃないでしょ。だから関係なくない?」



「いや、それはそう、なんだけど……」



「ははーん。さてはユウ、それを気にして一緒に乗るのが嫌だとか言い出したんだね。本当はアタシと一緒に乗りたいくせに」



「ち、ちがうよ。単にあんなのに乗ってると恥ずかしいから――」



「はいはいわかりましたわかりました。でもね、そういうときこそ考え方を変えてみるのよ」



「どういうことだ?」



「一緒に乗るのは今がまさにチャンスじゃない! だってさ、アタシ達が付き合うようになったら、別れるかもしれないことを気にして一緒に乗れなくなっちゃうでしょ! だから、一緒に乗るチャンスは今しかないのよ」



 あけすけにそんな言葉を投げられた竹久は少したじろいだ。



「え、えっと……それは、どういう……」

 まったく。見ていられない。



「一緒に乗ってあげなよ」ウチは竹久の背中を軽くたたいた。「アタシはここで本でも読んでいるからさ」



「あ、ああ……うん……しょうがないなあ……」




 照れくさそうに瀬奈と二人でボート乗り場の桟橋に向かう竹久の背中を、ウチは一人で眺めていた。